福岡 予備校

数学教室
入会を希望する方は必読!

連絡先●
0120-54-9981〜フリーダイアルごーたすよんはくくはちじゅういち

要項に戻る

数学教室時間割より会員へのメッセージ2009/2010

FCS数学教室は3週間に1回の割合で時間割を発行しています。
その中に会員各位に向けた先生からのメッセージ欄があります。

このメッセージは学級通信的なもので、現在の数学教室の様子を伺い知るヒントになるようです。
入会を希望する人、でも余りにも情報がない・・・と云う向きに参考になれば幸いです。

2011のメッセージはコチラ

10/12/13
センターまでこの1枚

今年も恒例のセンターまでの時間割となった。が、様子が違うのに気づかれた方もいるだろう。
そう十数年以上前の時間割に戻ったのだ。
数学教室は平成5年6月光が丘公民館の一室で開講した(当時生徒数は僅か2名)。
公民館で高校の予習が、それも3,800円(日経の購読料。2000年1月より月謝4,400円)でできるコンセプトはうけ、「うちの近くの公民館でも」と云う事で、美しが丘北、朝倉街道、長浦台と口コミで拡大していくのに時間はかからなかった。
春日原までは順調に教室はできた。
しかし、福岡市は違った。
熱心な親御さんが働きかけても公民館許可権者である福岡市教育委員会は「却下」の繰り返しだった。
月謝を上げてはいかがですか?これが福岡市教育委員会の提案だった。
福岡市の公民館館長の前職はほとんどが校長先生。天下り先だったのを後から知る。
民間の貸教室、戦前からの公民館を説得して、三年前の時間割となった。
転機は久留米教室の立ち退きだった。
久留米市教育委員会の通告は余りにも唐突だった(「久留米にも教室を」と云う事で保護者が会場を準備して頂いたが、その保護者に通 告が下されたのだ)。
保護者の善意で久留米教室は継続する事になったが、もはや、月謝4,400円では家賃や代行の先生に支払うギャラも出せない経営状態に陥った。
平成20年1月、福岡市、久留米市の教室を法人化(福岡チャータースクールとFCS数学教室に分離)。
固定教室と中学数学、他教科の授業が開講する。
その引き換えに、月謝の値上げとなった(その前日まで入会した人やこの時間割にある公民館に登録する会員の月謝は4,400円に据え置かれた。法人の善意で教室の移動も認められた)。
しかし、3年が経つ平成23年1月。同年の入会者から上記の教室のみの移動に限る事を告知する。
あまりに法人と教室の教務内容が異なる(前者は九大医学科生が後者は生徒=先輩が先生役である)。教室の完全分離である。

尚、22年までに入会した会員の教室の移動(福岡チャータースクールR3コース)は認め、月謝も据え置き継続となります。

10/11/22
TPPと結婚式

生徒の結婚式があった。新郎も新婦も生徒だが、時期がずれていたので、偶然だ。
九大の院と学部のサークルからのゴールインだったので、全国各地から、要職者が集まった。
皆、30歳近くで、自分の仕事を熱く熱く語るくらいプロフェッショナル途上の仲間(50人以上!)が集う3次会は本当に飽きなかった。

医者が足りない。

東北のある市の職員が語り始めた。
新郎の大学時代の友達だ。
今、地方の自治体は市民病院の赤字に苦しんでいる。毎年数億の赤字を計上している。

じゃ、その赤字をどうやったら減るの?

医者が多く雇うと解決する。

給料高いんじゃない?

医師の給与はだいたい1,000万円。だけど、医者一人いると3,000万円稼ぐ計算になる。でも、人事権は大学の医局が握り手放さない。

新婦の友人の看護士が尋ねる。大学病院の先生はそんなに給料貰っているの?

いや、大学病院の先生の大半は授業料を払って患者を治療しているからマイナス時給だよ。

えっ、お金出して、患者さん見てるんですか?

そうよ。大学も3,000万円になる事は知っている。どっちもどっちさ。でも10月からストーブを点ける君の市の病院に、なり手はないわな、2,000万ピンはねするんだから。

隣には原子炉の容器を設計する新郎の友人が聞いている。
その周りには新婦の友人の薬剤師達が集う。
そして、日本の将来はどうなるんでしょう、と愚痴をこぼす。

TPPは第三の開国と云われている。何故今ごろと僕も思うが、さておき、この中に君達の将来に係わる重要な約定がある。
医師免許の締結国間での平準化。すなわち医師国家試験を含む医療関係の免許を自由化する事だ。
そうなるとオーストラリア等の加盟国並の緩い資格規制となり、資格があれば年収3,000万円の時代が終わる。
手厚い保護領域がなくなる。
医師になる事から、医師になったあとが勝負の社会に激変する。
これが 新聞が書きたてる正体であり、今すぐはならないにしても、君達の時代がさうなる事は井伊直弼の殺害で小学生でも知っている。

もう2時を回った。いつものように生徒を送り届け(ツアー)家路につく。
数学教室は昔から変わっていませんね、と生徒はなつかしむ。
確かにそうかもしれない。本質は変わらない。
しかし、1993年開講以来18年目、法人化して3年目を経て何らかの変化を為なければならないのは、諸君たちの将来と同じかもしれない。

10/11/1
道具を使いこなせる人に

数学教室は学校の予習をする塾だ。早く予習が終わったら「大学への数学」誌等の読み物を読めるように、学力コンテストに参加できるように、適切な演習を指南する所だ。
例題の説明の後、フォーカスゴールド等、学校で購入させられた問題集、参考書の問題番号指定を行っているが、本来は一人一人の能力に合せて指定が異なる。が、最近は便宜的に最大公約数的にメールで指定番号を流している。
そう、 電子化されているため、このデータがあれば、前段の説明さえ受けている、もしくは、その説明に匹敵する理解があれば、いかなる学校、いかなる学年、さらには意欲ある中学生、小学生さえも、そのメールに従って問題演習を行う事ができる。

さて、もし前段の説明も 電子化されたらどうなるだろう?

漸化式の導入、微分の導入、区分求積、平均値の定理、これらの授業映像が電子化され、必要な時、ログインし、試聴でき、メールで指定された番号に従い、問題演習ができたら、、、、数学教室は必要なくなるかな!?

生演奏の楽団がレコードにとって変わり、楽団は大量失業した。そのレコードもCDに、そしてCDはより利便なネット配信にとって代わろうとする生き証人に我々はなろうとしている。
だから、 DVD授業だ!映像授業だ!と多くの学習塾、予備校は取り入れているのだろう。

では、 DVDや映像授業を取り入れた我々は進化(優秀)したのだろうか?

DVDや映像授業を取り入れ、支店や教場が増え、総数も、売上も爆発的に増えたとしても福岡市内の合格者実数は過去とさして変わらない(むしろ、減少傾向にある)!
それは、音楽愛好家が増え、ユーチューブにメジャーデビュー出来なかったアマチュアバンドが増え、プロの層が厚くなったのと変わらない。
とんねるずの貴明は「芸能界に使われる金銭総額は変わらない。それを誰が取るかだけの話」と回顧した。
便利なDVDが九州各地に配信され、福岡市内の合格者は寧ろ喰われているのが実態だ。
道具は活用しなければならない。
諸君がすきなだけ予習できるように、学コンに投稿できる自力がつくように、道具は開発するつもりだ。
諸君も指定された番号、プリントに振り回されず、栄光への最短距離になる道具にカスタマイズし、使いこなして欲しい。

10/10/11
明日を変えるために

試験が返ってくる時節だ。
また、塾の問い合わせもまぁある10月でもある。
数学教室は予習塾なので、それまでの復習は原則しない。
復習をするとしても、それは、学校が先に進まない時、即ち試験前にやる。でもやったとしても、ヤマをは張る問題指定をするくらい。
だから、他の教科の勉強をするため出席しない会員も多い。まぁそのくらい、数学教室で予習、学校で復習が徹底できているという事である。
この サイクルが回らない子を考える。
この子達に共通する資質は、前回教室でやった事、問題を尋ねても答えられない、とまとめられる。
ここで、彼らを分類、場合分けしてみよう。

壱、能力の問題が起因するケース。

すなわち定着できず、記憶に残らないそれ。
高校で数学の授業中、ノートだけは取っているが、自分で何を書いているのかさっぱりわからない。
板書の間違いすら、そのまま書き写しても気付かない。
人並みではないこの人達に必要な事は相当の準備しかない。

弐は物理的問題で、出席が安定しないため、前回の内容がわからないケースである。

部活や模試、家の用事で欠席するため、前回の授業と今回の内容が再度かぶったり、空白ができたり、せっかくやった事が有機的につながらないため、学校の例題程度の問題を行ったり来たりする演習レベルで試験を迎えてしまう。
この手の子は忙しい中勉強しているので、沢山勉強をした気になっているし、手ごたえもあるが、レベルは低い。
このケースは小ノートでもいいから、やっている事を整理しコントロールする事。
先生に問題、プリントを間引いてもらい、次くるまでの数学総量をコントロールする事であろう。

参は学校の課題を持ち込み、その消化だけで全ての時間を使い切ってしまうケース。

大半の子は、ほとんど鉛筆は止まり、赤で解答を写すだけで、頭に残らない(そのノートは廃品回収される運命にあるにもかかわらず)。
処方としては、解らない問題は数学教室内の先輩に丸投げし、時間を作る。その間に、先生に課題の類題を求め(メールで事前要求すると効率的)、記憶に残るように工夫する。

紙数も少ないので、ともかく、数学教室の画期的システム(ホーム&アウェー)やメール等の端末を駆使して、1回の出席に重さを持たせ、学校、教室、自宅の数学学習を有機的に連動させよう。
1+1+1→∞にするようにしなければ明日は変わらない。

10/09/20
六本木ヒルズ

九大法学部の弟子達と東京六本木ヒルズのテレ朝に行った。
「朝まで生テレビ」の生放送観覧の引率のためだ。
観覧者は参加パネリストの関係者と早稲田をはじめとする大学生(都心にある有名大学の生徒のマスコミ接触率は極めて高い。事実上の面 接試験となる)。
僕はセキュリティーの都合で外待ちとなり、ヒルズの周りは何もないので、書店に直行。
天神は20時に店が閉まるが、六本木は深夜1時まであいていて、福岡で見られない本が楽しめる。
僕の学生時代からフェイバリットしている広告代理、デザイン、ユーチューブ、ユーストリーム等のコアな本を扱っている書店をはしご。
超満喫。
1時になる。
次は、ミッドタウンのイベントに参加。大使館関係者、高級OL、デイトレーダー、会話はほぼ英語。
参加者の紹介で次の店へ行き、そこで朝5時に。
弟子たちとマックで合流する。
著名人達とも面識を得、どうすると問うと「東大を是非とも見に行きたい」と云うので「本郷の法学部掲示板を見るように」とアドバイスし、別 行動。
僕も学生時代、駒場、向ヶ丘寮に宿寮していたから、事情も解っていたけど、もう僕の今には得るものが少ないので、下大利の授業を優先して、朝5時33分の地下鉄に乗って帰る。
月曜日、感想を聞く。
すると「掲示板に各省庁のインターンシップ(職業体験)の募集がありました。九大ではそんな募集もないし、存在も誰も知りません↓↓↓」
彼の発言は訂正が必要である。
僕の弟子でウイークリーマンションを借りて農林水産省のインターンに参加した筑女一貫→九大農学部の弟子がいる。
ネットで調べない九大生が悪いだけだ。
東大や早稲田と九大の環境格差はネットや航空運賃の低廉化で僕たちの時代程ない。
しかし、僕の弟子達のように時間と資金がないと知見は高卒の今と変わらない四年間を過ごす。国立大に進学し、活動資金と四年間の時間を何としても手に入れる。さもなければ、生涯、六本木ヒルズは永遠にテレビの中の他人ごとの世界になるかもしれない。

10/08/30
数字が雄弁に語る模試結果

進研模試の結果が出たようだ。
出来そうな人が、出来る人か、否か、数字は正直に語ってくれる。
1年生は簡単だ。二次関数とおまけのような計算問題のみが試験範囲なのだから、これで点数が取れない人は、中学数学から高校数学への切り替えが出来ていないだけである。
分類すると 2 つのタイプがあって、中学時代、勉強ぐせがなくても、試験前にちょろちょろとしただけで点数をとれていて「俺天才かな」と勘違いモードにはまっているタイプ。
あと一つは、必死に反復練習をしないと理解できない一杯一杯のタイプ。
この両者は、高校入学時からギアチェンジをしないと、かなり強烈な点数に陥る。
対処法はまづ、高校数学レベル、学校の授業の先生の話を即座に理解できる処理能力を身につける。
次に模試レベルの問題を解き、慣れる、と案外簡単なのだが、実際そうしているのに点数が取れなかった、と言う人がいる。
しかし、多くの場合「自分に 甘い」だけで、本当に自分にプレスをかけていない。
この位でいいや、寝よう、的な妥協をした分、点数は目減りし、模試結果に印刷されている。
そう、あの数字はあなた自信の姿、分身なのである。
だから、妥協せずに、三角比、場合の数、確率の問題に取り組めば結果はついてくるだろう。
問題は高2や高3である。この人達はどっぷり高校生活にはまって、下がる事はあっても、今の点数、順位 を維持することも難しい人達だ。
この手の人がブレークスルーするには、次の模試まで○○を仕上げる的な作戦が大切だ。
同じ 30点を取るにしても、自分のやった単元が満点で総計30点と、全体的悪くて30点では心の持ち分が違う。
模試ごとに区切って、一つ一つ消化していけば結果はついてくるかもしれない。
当たり前の話をしたが、数学が必要なくなる判定を模試で下されて君達と話が出来なくなってからでは遅いからしたまでの話だ。

10/07/12
時間は連続、内容は分割

2時間半続けて勉強する事は難しいと云う。
テレビは12分くらいでCMが入るから、昭和30年代生まれ以降の人間は30分連続すら怪しいと根拠づける。
集中力の持続には個人差もあるが、限度があるようだ。
だが、2時間続けて集中してその後の30分間と、し始めの30分間とでは発見の質が違う。 レベルが格段に違う。
人は、それはエンジンがかかってすぐと、2時間半後では違うよ、と云う。
その理解でも構わない。
しかし先に挙げたよう、2時間半続ける事、集中する事自体、難しいようだ。

逆に云えば、2時間半集中できない人が多いので、自分が集中できたら、成績は簡単に上がると云う事になる。
この集中の方法として、塾(合宿、講習会)がある。しかし、塾に依存した体質の人間に脅威はない事は高校中学入試に凱歌を得たものの、その後の成績が冴えない人種を見れば明かだ。
Z会はそういう意味ではいい。しかし、あなたが一問に6時間近く費やすのが当たり前の添削を提出できる強靭な集中力を持つ一握りの人であればの話だ。万人向けではない。
単元を分割し、テーマを決め、集中して、そして、達成感を楽しんで、振り切る。結果 として、2時間半続けて解く、学ぶ。
これが理想だろう。
これは夏休みの学習の特権である。
平日ではこのような学習時間は取れない。許されない。

心を盛り上げるのもいい。計画倒れにならない程度の高い山でもいい、楽しむ事だ。
物理的には同じ時間でも、万人に公平に与えられている時間でも、使い方である。
事前に申し入れすれば、単元ごとの問題は準備する(注●2時間半とは東大理系数学、理科の選抜試験時間でもある)。

10/06/21
夏期講習と云う虚像

欲しいモノが手にはいらない時は、様々な偶像が現れ、誘惑するものだ。
その偶像は実在するものに限らず、社会的地位であったり名誉、名声であったりもする。

諸君で云えば、志望校「合格」とその後の仲間や生活、将来の選択肢の拡大、希望というあたりに偶像が落ち着くのだろう。

第一志望の合格の凱歌を浴した諸君はその偶像が醒めるのを体験する季節だが、不合格である敗者には、その偶像はさらに誇張され、都合が行かない時のぐちに繋がり、卑屈になる。
そして、無反省と共に、また、将来も同じような事を繰り返すのである。

山に登る人がいる時、何故その山に登るのか?の問いかけに二種類の答えが帰ってくるらしい。
そこに山があるから登るのです。
そう答える人は山が高ければ、高い程、ファイトするようなタイプである。
偶像はこの手のタイプには有効かもしれない。
しかし、このタイプの人に「何故その山か?」「何故登るのか?」の答を求める事はできないと云う(その山すら他人が作った偶像の場合もある)。
その答を持っている人がもう一つのタイプになるのだが、このタイプは切り口はともかく、その山登りを「語る」タイプである事は間違いない。
他方、前者はあるから登るだけだから、語っても、その苦労や登り方のノウハウあたりが精一杯のチープな自慢話である。

この夏、予備校に通い、夏休み成績を上げた偶像を想像するのもいい。
講座を買う事でモチベーションの高い偶像を作るのもいい。
でもそれは実像でなく虚像だ。
そして、偶像と実像のギャップがあれば必ず「卑屈」になり、この連鎖は止まらない。
それよりも定期考査が終わった今から、人のしない事(山)に取り組んだ後、優越感に浸った方をがまだましだ。
早く出発すれば、人に道案内程度は語れる自分が実在するかもしれない。

10/05/31
なんでも切れる

一部の学校(筑紫丘他)では中間考査も終わり、その結果に一喜一憂している頃だろう。
他方、この時間割内に中間考査を迎える諸君(修猷館等)もいるだろう。
いずれにしても、六月後半から七月にかけて行われる期末考査、その翌週に久留米附設を除くほとんどの高校が参加する進研模試までの予習、学習の取り組みこそが勝負となるであろう。
予習を効果的にするためには、試験終了後のその週の学習がすべての鍵を握る。
簡潔な知識習得かつ迅速な問題消化を求められる。
知識習得のためには、下記のメール先に次学校が進むであろう単元を送達すると時間ロスがない。
教室に来て、次からここが始まる、ここ入りました、では、あなたは携帯やネット社会の養分の存在でしかない。
教室に入って先生から声をかけられるのを待っているようじゃだめだ。
上司は常にいい人ばかりではない。
人を当てせず自ら進む方法も実践しなければ、他人の都合に振り回される自分しか残らない。
迅速な問題消化については、異議があるが、多忙な高校生にとって、いかに少ない問題量に絞るかが、調べ学習を必要とする語学の時間、ひいては睡眠時間の確保に直結する。
そのためには、指定された問題を二度と解かない、一回限りで習得する「くせ」を身につけなければならない。
反復練習は聞こえは良い。しかし、そんな事をしていたら一日80時間以上必要なる。
この事はセンター模試の経験がある三年生は骨身に沁みている悪癖である。
一発で人の話、本の内容を理解する。これが世間で言う「頭が切れる人」である。
今回、修猷高1他諸君には二次関数終了後、場合の数のフォーカス指定後、一気に「日々演」に入る。
途中は吹き飛ばす。
フォーカスの徹底理解をさせ、どんな問題でも「切れる」理解を求めたい。
短時間に強靭な理解力・集中力を育む訓練をするのである。

10/05/10
求人票を書く時は

4月と違い、そろそろ新学年の生活も見えてきた頃だと思う。
私事だが、この季節、僕はよく東京に行く。
東京の一番良い季節がそうさせているかもしれないけれど、新年度と云う事で活気が溢れていて、その「気」を取りに行っていた時代があったかもしれない。
東大の農学部の寮に宿寮する。
寮OBが出張費を浮かせ、ネクタイをはずし、酒盛りをする。
入社数年目の社員の話とは云え、日本を動かしているな、と感じてしまう話が続く。
本郷に行く。
受験の時と違い、平素の東大のキャンパス、それも専門過程なので、落ち着きの顔が伺える。
進振りを控える駒場とは明らかに違う空気が漂う。
法学部の掲示板に歩を進める。
日本の将来を担うエリート集団、また、現役の上場会社の取締役、官僚、政治家達がかつて見ていた掲示板である。
気配が違う。
ここには何故か殺気が感じる。
何が殺気を生んでいるのか、掲示板と人を観察する。
求人票である。
各有力省庁の東大OBの携帯番号と実名が陳び、連絡乞う、と書いてある。
こんな求人票をかつて見た事ない。
当時、某旧帝国大学でも、彼らに会うまでがいかに大変か、いや、その組織自体と面会する事すら、いかに困難を極めるか経験していたので、呆然とするしかなかった。
そもそも省庁の求人票なるものを初めて見たのだ。
時代は下り、ネット社会。
エントリーシートなるものがあり、誰でも新卒なら求人票をボタン一つで送れる時代になった。
その事はわずか数名の人事課職員が数万のエントリーシートを処理する実態を生み、いよいよ本人に会う事一度もなく、学歴や英語力等資格で選別される時代にが到来したのである。
これはチャンスが減ったのではない。
低年齢化しただけなのだ。
何が正しいかは別の話だが。

10/04/19
非凡の誕生

3月以前から入会している新中2〜新高校1年生諸君は二次関数表記→条件から二次関数を求める→二次不等式→絶対値→判別 式→範囲の移動にによる最大最小→解の存在範囲の条件、の順番で消化し、センター過去問演習ができるものもちらほらでてきたようである。
中には、指数、内分外分、ベクトルの説明をうけ「寄り道」をして、二次関数が道半ばのものもいるだろうけど、学校の予習としては十分だと思っていた。
しかし、 困ったことに、久留米附設中学3年生は二次関数と三角比を同時並行に履修させ、さらにセンターに必須である必要十分条件も試験範囲に追加する事が発覚。
急遽、三角比を大真面目に説明せざるを得なくなった。
これは久留米附設は、中学3年生で三角比が必要な物理(力学)を行っているためと推察され、これは妥当な進度と云えるだろう。
なるほど、久留米附設が修猷館や筑紫丘、福岡高校を圧倒的に引き離して、防衛医科大学校に現役合格させる根拠を見させてもらった気がする。
何故なら、公立トップ校は高2から物理をやるのが定番である。
しかし、久留米附設は公立組が、得点率の極めて高い、平易な公立入試に懸命に取り組んでいる間、難解である力学を学んでいるのである(ご三家と呼称される某高校の東大受験者は40名だったと聞くが合格者は僅か4名しかいない。同じ歳でやる事が違うのだ)。
寄り道と云い、いろんな事を学んだ諸君も多いが、若い時代から、逃げることなく、難関な事にチャレンジし、困難に対する耐性を養って欲しい(耐性が強い人間を人は非凡と呼ぶようだ)。
この時間割の期間までは比較的暇な時節だ。
多くの教室に出席し、一日も早く教材を終わらせて欲しい(同時に英単語帳を一冊丸暗記できるのも今の季節だ。この困難も有効な飛躍である)。

10/03/29
大学へ行く事

過去、国立に落ちて、私立F大の薬学部に補欠合格した生徒がいた。
その妹も数学教室に通っていて「兄貴が私立だから国立に行かないと。弟もいるし」と言う。
学費いくら?と尋ねると、238万円?2年目は180万円くらい。だけど教科書代は別、と答える。
数学の計算が始まる。
もし、一日1000円ずつ貯金すると一年間で36万5000円。2年間貯めても73万円である。
これでは国立大にしか行けない。
そこで一日3000円ずつ貯めると仮定する。
すると一年間でほぼ100万円。
これなら、西南大の文系学部ならぎりぎり行けるかもしれない。
しかし、 私立理系大学には行けない。
では、一日6000円ずつ貯めるとする。すると200万円貯まった!
これなら2年目以降の兄の学費は賄えそうだ。
でも、一日6000円と云えば時給750円の計算で6000円÷750円/時=8時間となる。
これは素直に喜べない。
何故なら、この計算には休みが許されないからである。
休みを取るとその分一日8時間以上働かなければならない。 しかし、一日は24時間と決まっている。 睡眠も必要だ。
NHKの教育テレビで、大阪の公立高校の生徒指導のシーンがあった。
母親は来ていない。二者面談だ。
先生が子どもに指導しているのはバイトと学業の両立についてだ。
この学校は校納金を滞納したら、生徒がバイトに行って支払うように斡旋していると云う。そして、高校はバイト先に校納金の督促する。
彼女も滞納者で、バイトを始めたてだったようだ。
進学指導も実にリアル。
大学に行くのに必要なのは一に「学力」と板書するが、2番目は「お金」と大きく書く。
生徒の虚ろなアップシーンがたまらない。
大学進学は大きな投資である。落ちるのはまだいい。行きたくない所に投資するのだけは避けたい。

10/03/08
始業式までにどこまで進むか

時間割を作っている間に、合格、不合格の報告がメールでやってくる。
人間は、それが分かっていても、なかなかやらない。だから、少しでもいい大学に進学し、いい会社に入社し、怠惰をブランドでかくそうともする。
この議論は、フランス人ルソーがその主著「社会契約論」のなかで、選挙と云う画期的かつ最先端の統治機構を誇るイギリス人は、実は選挙でいったん決まった結果 に、一切盲目な存在である(以降考える事を止揚する)、と痛烈に風刺するくだりに似ている。
人間は、いったんモノを手に入れると安心してしまい、努力しなくなるのものである。
だから、とりあえず、いい大学、いい会社に所属する事を希求するのだ、となる訳だ。
逆に言えば、その時さえ頑張れば、見逃してくれる、と云うことになる(この考えは新自由主義的それの一部を体現する)。
正しい事は分からないが、国家が決めたルールに則って入試があるのだから、その日の成績がよければ、このゲームは勝者になれる。
ならば、その日をよくするために、計画を立てればいいだけである。
仮に実力が伴ってなくても、ルールに従い、合格すれば、合格である。
不合格ではない。
さて、その日をよくするために、数学教室の考える事は、朝課外から午後補習まで続く高校生活が始まる前の春休み期間、数学の予習を済ませ、始業式以降をのんびりしたいな、である。
数IIIを終わらせる。ベクトルを究める、確率の日々演を済ませる、何でもいい、皆が旅行にいってる時、古いクラスの友達と遊びに行っている時、計算程度の春期講習会で満足している時、好きなだけやりましょう。
そうすれば、あなたの能力では到底届かない大学、学科に合格するかもしれません。でもそれも合格なのです。

10/02/15
その日が来ました

この時間割が最後となる生徒の季節がやってきた。
例年の枕言葉となってしまったが、 過去、高校受験で成功したので塾は3年生から通 えばよく、高1早々から行く必要はない、とか、入学式で校長先生から「 課外授業等でお子さんをしっかり育てますから、塾なんか行かせる必要がありません」、とか、ここ数年、中学時代の塾に継続契約をした、等、入会が遅れ、悲惨な状態に落ち入り、短い在籍期間の子が多い中、今年は、該当者の中に中2から長期在籍している生徒が複数いて、まさに、 諸君らもそうだが、今年は、私も、数学教室も、社会から審判される日を迎える事になる。
この時間割が終わった頃、該当者は、極めて社会的に不安定な身分になるのだが、そのころになっていくら勉強したところで報われる事はない(過ぎた試験の点数には追加されない)。
浪人は長い人生からすれば短い1年だが、40代、60代の1年と今の1年は重さが違う。
また、24〜6で東大や医学部に受かっても、すばらしいことでも、社会に説明が必要になるかもしれない。
やはり、 現役だからこそ、社会は評価し、評価に相応しい役割を社会が与えるのである。
もちろん、受験が終われば、大学、会社、地域、社会で、それぞれ評価される毎日が続き、同様、それに相応しい役割が付与されよう。
組織に所属すると楽である。制服さえきればよく、服を選ばなくていい。
しかし、組織を脱退すると、誰も守ってくれない(守るのは家族だけである)。
残された諸君に言いたいのは、残された時間は少なく、組織にいる内に多くの作業を済ませて欲しい、ただそれだけである。
できないなら、社会での役割を選択する資格は狭まるだろう。

10/01/25
成功の九割は信じる気持ちから生まれる

時間割が一週間飛んだ。忙しい一週間だった。いろいろな人生模様があった一週間だった。
数学教室内は微風だったのは、センター終了後、採点会を行った事が大きい(センターリサーチとほぼ同一の予言ができ、二次に向けての切り替えが世間より早くでき迷いを立ち切れた)が、世間は騒がしい。
数学教室は学年が存在しないので、ここ40日間は全国にあるどこの塾、どこの予備校よりも、臨場感のある、ナマナマしいい受験現場を体験できる。
そして、数学教室は生徒が生徒を教える教室なので、この受験現場の実況を享受できる他学年の生徒の、受験生への質問は、受験生にとって、極めて有意義な学習環境を提供する事になる。
また、ホーム&アウェーと云う、生徒が行きたい教室(アウエー)に好きな時行って良いと云う、福岡では考えられない(首都圏では「定額制」と称し、最近当たり前になってきた)サービスが、全受験生を全教室で臨戦態勢にし。教室内を勉強する最高潮モードに漲ぎらせる。
この40日間で、数学教室の生徒の成績が飛躍的に上昇するが、
その秘密はここにある。これが現役合格実績に繋がる。
さて、ここに必要条件を提示した訳だが、あとは、諸君らの行動によりこれを十分条件に変えなければならない。
過去、熱心にこの仕組みを利用した会員の成功の報には多く接したが、理由をつけ、足が遠のく会員の姿は、春の櫻見会には限りなく少なかった。
確かに選択される立場に数学教室はある。
また、選択肢の一つに過ぎないし、ベストではない。
けれども、水を飲みに来る人間には最善を尽くすつもりである。
この40日間は物理的には同じ一日でも、違う空気を持つ一日である、全会員、積極的に参加して欲しい。

09/11/30
センターまでこの1枚
今年度はセンターが早い(1/16、17)。よって、センター数学だけ必要な向き、もしくは断念組はこの時間割で数学教室は引退となる。
断念組とは、二次試験で何点採っても、一次試験の点数が悪すぎて合格できないケースを指す。
どうせ浪人だからと云って、全く点数が足りないのに、来年のためにとダメもと受験を〜記念受験と人は云う〜する者も多数いるが、この手の浪人生を諸君らは恐れる必要はない。
何故なら、必死にぎりぎりまで闘い抜いた経験が現役生より唯一勝るのであって、研ぎ澄ませた時間を過ごす経験値を持たない者は、まんねりと惰性に毒されおり、いざ何事かを始めるにしても、頭で分かっていても体が動かず、焦燥感だけが募り、そして、寝る前に後悔しているのである。
あらためてこの時間割を見て欲しい。
有限の時間しか残されていない。
増やす事ができない、となれば、この時間を濃密に深める事を考えよう。
数学教室はホーム&アウェーと云う便利な仕組みがある。上記のどこの教室に行っても構わない(月謝は変わらない〜これは主催者の善意である)。
勿論、課外や予備校他で時間が作れない人もいるだろう。
しかしそれなら尚更、一回来た時間を目的を持ち深めなければならない(メールで連絡する等)。

受験生以外の学年諸君が受験生と同じ事をしてはいけないと云う決まりはない。
数学教室は無学年制だから、その気になれば受験生と同じ事、高校数学をすべて済ませる事も可能であり、そのためのアシストは惜しまない。

09/11/09
オシムと仰木彬

ナンパーと云うスポーツ雑誌があるが、この雑誌はスポーツ選手のあの場面 の心の奥底を文章でつづり、当該選手のナマナマしい写真、場面を背景に文字を回り込ませると云うかなりお洒落なそれのはしりである。
元々、ネタがない時代、海外の記事の日本語訳を多用していた事もあり、文章は指示語が程よく、論理的で、国語弱者、特に本が嫌いな者の国語力アップにはお勧めの雑誌である。
739号は監督入門と題して、人の上に立つ者のインタビューや名将の回顧録だった。
巻頭はオシム監督のインタビュー。
前にパスを禁じたラグビーの練習をサッカーのそれに取り入れたと語る。
練習に変化を与えれば、選手は活性化する。
その心は、凡人は同じ事を続ける事はできない。
極希に練習を長時間可能せしめる人間が存在するが、創意工夫した飽きない練習をし続けているだけだ、となる。
日本の監督の話を聞こう。
野村監督の若いころの雄叫び全面写真が実にインパクト大であったが、それよりまして強力だったのは故仰木彬監督〜イチローの名づけ親、育て親〜の回顧録だ。
仰木監督は毎日打線〜メンバーを入れ換えるので有名だった。
出番がいつ来るか分からない。
負け試合で出番はないと思った選手に監督が声をかけ、えっ、と漏らすと、もういい、と他の選手がコールされた。
翌日二軍へ。
そしてその年の秋、解雇となった。
弱い〜お金がないチームが勝つには、このような手法が必要だったようだが、耐えた当時の選手は、仰木監督の時代、選手の給料は皆上がったよね、と回顧を総括する。
市販の教材を出席番号順に板書させる人並みの「練習」で成績が上がるのは元々勉強が好きな優秀な者だけと教えてくれる。
とは云え、数学教室は監督から睨まれないと練習しない人間を育てる所ではない。自ら練習を工夫する者を助ける所なのだ。

09/10/19
逆算
11月は模試の季節だ。
高2以下は進研模試が課され、高3は九大型、京大型、東大型等の本番さながらの模試が行われる。
本番を忠実に再現した模試は、○○大オープンは河合塾で、○○大実践は駿台で、○○大プレは代ゼミで実施され、ネットで予約か大型書店の参考書コーナーのレジで、もしくは予備校の窓口で申し込む事ができる。
久留米附設、筑紫丘、修猷館等の将来を含めた大口顧客の場合、高校に出向き、実施する場合もある。
これら本番型模試は、あまり知られていないが、高2以下の生徒も参加可能で、数学教室は過去より、これら模試を受ける事を推奨し、高2生はマストである。
受験料は高いが「高2のうち受けて本当に良かった。最初はまだ習ってない所(数IIIC・理科)があるので無謀と思ったが、九大は形式、難易度が全く違う事が分かり、とても参考になった」と代え難い価値と経験を見いだすようである。
受験する大学が決まっていない者は、12月前後にあるセンター直前模試を受ける事を勧めるが、受けるなら最も母体集団が大きい河合のそれで決まりである。
よくセンター型高2模試とかあるが、これは勧めない。
難易度等本番とかけ離れ、時間と体力を浪費するだけである。
各予備校は自らの存続のため、出題者はズバリ的中で来期のコマを確保するため、等全力で制作する高3・浪人生用模試を本番のつもりで全力受験してほしい。 登竜門的な模試、講座はすべてが半端に終わりがちになり、だれるだけだ。
そして、受ける模試が決まれば逆算に入る。
その模試の一週間前は何をするか、10日前は、二週間前は、一カ月前は、と本番=Xデイに向けて予定を組み上げていく。
実はこの組み上げが最大の勉強であり、勧める理由の核心部分である。
模試の〆切期日だけは間違えないように。

09/09/28
計算と虚像
他塾から乗り換えて来る子がちらほら見える季節となった。
予備校は部活が終わったり、暦が二学期になったりのタイミングでどっと高3生が繰り出すが、9月4週、10月4週、そして、11月は、マーク模試、大学別 模試各2×駿台、代ゼミ、河合の×3=6回の模試で、平日開講なら問題ないが、土日開講講座だと6回の模試で吹き飛びほぼ1週、そして12月は営業上の都合で、中途から冬期講習、二学期講座打ち切りとなり1週、総計4+4+1+1=10講座と云う計算が順当だ。
そのうち定期考査で休んだりなんかして、8回の出席がせいぜいだ〜既に今日は10月・・・。
8週では、三角、指数、対数、三角比、場合の数、確率、軌跡、剰余の定理、平面ベクトル、空間ベクトル、微分、積分、数列・・・・1単元1回と云う計算ではとても間に合わない。
これに 化学、物理、英語と続くのだから、一週も無駄なく確実にヒットし、積み残しをしない勉強が必要で、自分をマシン、いや時計のように管理徹底しないといけないだろう。
無論、この環境下、 休むのは以ての外。悩むのも以ての外。
立ち止まったり、後回しにする事は、それは来年に後回しにする事を即意味し、それはお金と時間との相談、即ち多変数の連立方程式を解く事になり、最早勉強に集中できなくなるだろう。
これが浪人が伸びない最大の原因であるが、予備校はその存在上、決してその事を教えず、8週のレールのみを課し、その勝者=マシンになりきった者は広告実績に数え、敗者には更なる50週のレールを轢き、自らの営業に使う。
最近、うちの真似をした予習学習塾があるようだが、違いに気づく機会に恵まれた。
どうも他塾はただ先の事をなぞるだけで、予備校のレールの総延長が伸びただけとの話。
ついてこれるのだけついてこい、と云う感じで、脱線=脱落となり、それを以て最高峰と自ら呼称する。レールに乗れない人は無能扱いにした上で。
所で、レールに乗るのが全ての人ならあと8週しかない計算となるが、もし、自分でレールを創れる人ならその話はどうなるだろうか?
数学教室はその手伝いならしてもいい。それが目的だから。

09/09/07
せいぜい7割
進研模試の結果が帰ってきた。
40点〜70点台の人は、80点以上の点数を採っている人を見て、こんなに頑張っているのになんで点数が採れないんだろう?あんなに取れる人はもともと頭の構造が違う、とへこみ、無反省である場合が多い。
(3)からできない、と小数だが、分析できる者もいるが、こういう子も実際は打つ手を打たず、時間の経過に身を任せ、また同じ過ちを繰り返す。四捨五入すれば前者と違いはない。
結果を出す人と努力が結果に繋がらない人の違いの一つは、努力の違いにあると推察される。
すなわち、日々やっている努力の質か違うと云うことに行き着く。
進研で6〜7割とる事は、筑紫丘 の数学平均点が50点切るぐらい(高2)なので、悪くはない。しかし、学校が指定した参考書、問題集、プリント等の課題の、提供者であり作成者である学校の先生が期待したレベルに達した、と云うに過ぎない。
学校の先生(塾・予備校の先生も同じである)はクラスの、中の下の集団をターゲットに教材をセレクトし、授業計画書に基づき授業する。

80点越えの人間のための授業にはなっていない。

もし、行えば、クラスは一瞬のうちに崩壊し、学校はモンスターピアレンツの襲撃(福岡市内の某私立一貫校で数学の先生が保護者会で一斉攻撃を受けた。その対策=報復?として、数学の授業レベルを極端に落とす事で苦情を回避したのは有名な話)を受けるだろう。
中の下の人間は、話は聞かない、解かない、聞いてもすぐには理解できないものだから、学校=組織は量 とノルマを生徒=構成員に課し、努力を計る。
そこには中身はなく、負荷だけである。
勿論、中の下の人(そして組織保身)のための負荷である。
フォーカスは善くできた参考書だ。これを究めれば筑紫丘や修猷館の平均には届く。しかし、80点は越えない。
あなたが管理された一構成員であり続けたければ、それも良し。しかし18才過ぎての冒険は本当に危険。
勉強は安上がりの冒険。
組織をチェンジするのは大変だが、あなたがチャレンジするのは難しくない。

09/07/20
時間の刻み方
数学教室は原則として夏期講習会はない。
これは高校が夏課外、一方、体育祭の闇練があり、時間が取れないためである。
しかしながら、お盆の期間中は公民館が借りれないので、まどかぴあで代講を兼ねて勉強会を開催してきたが、今年の暦に従えば、代講の必要があるのは海の日とお盆前金曜日二日だけで、レギュラーできっちり埋まってしまった(多分、暦上、今年の年末と9月の新ゴールデンウイークに勉強会は目白押しとなるだろう)。
さて、もし今日、群数列のプリントをしたとし、終わらなかったとする。次の週、この続きをし、終えた。
すると二週間で数列が終わった計算だ。
上の時間割を見る。
7週ある。
7÷2で4未満だ。
漸化式、数学的帰納法、三角関数、指数関数、対数関数、軌跡、平面ベクトル、空間ベクトル、微分、積分、場合の数、確率・・・・云いたいことは解っただろう。
1週で1単元やり切る。それでも実は足りないが、充実感があるだろう。
逆に群数列が2週で終わらなかったら、一カ月かかって、問題は解いたもののモノにならなかったら。
そのような要領の悪い子は、入試にも間に合わないし、大学側も試験を通して要領の悪さを見抜き選別 するだろう。
大学もお人好しではない。
大学の足を引っ張るさばけない子と心中はしたくない。
7÷2で4未満の議論は、学校通常モードで週1数学教室に通ったケースを前提にしている。
しかしながら、今は夏休み。数学教室はホーム&アウエー制度(好きな教室に通える)を活用すれば、一週間に複数単元終わらせる事も可能だ。
他人から選別されない自分へ磨く夏にして欲しい。

09/06/29
困難は分割せよ
模試と云えば、7月初旬にある進研模試が気になるけれど、高2〜3生は夏休み中にあるYゼミの○○大プレ、S台の○○大実践、K塾の○○大オープンを申し込み、その準備に着手する事を推奨する(これらを特定大模試と称する)。
東大・京大は夏と秋の年2回、他大学は秋の年一回本番と同等の形式で模試が実施されるが(将来の勝者は参加している)、Yゼミのみ九大プレを夏・秋2回実施する。
まだ、2年生なのに、と云う向きもいるだろうけど、足が遅い人は家を早く出る。自信がなければ、下見をする。このごく当たり前の行為を推奨しているだけである。
本当に夢を実現したければ、まづ、体を動かすこと、行動する事である。 そして、その模試までの日程を逆算し、何をするかを決めていく。
模試までほぼ7週くらいだから、1科目7単元の計算となり、漠然とした夏休みの計画も埋まってしまう。
夏ダメもとで模試を受ける。結果が帰ってくる。東大実践なら高2で440点中100点も取れれば、次の秋150点にするにはどうすればいいか?と思案すればいい。ここに50点の執念が生まれる。
高1〜中3の子は?何しろ早く高校内容の数学を終わらせ、来年受験出来るように自分でラインを引けばいい。その気になれば、学年ボーダレス、教室の出入りが自由なホーム&アウェー制度を持つ数学教室の仕組みを活用すれば夏休みで数IIICまで終わらせる事は可能である。
逆に云えば、これまで怠惰の限りを尽くした高3〜高2諸君も、この夏高1〜中3になったつもりで一から出直せばいいのである。
まさか、中2以下の子より劣る事はないだろう。
五体満足生まれた体であれば、中3ぐらいの気持ちで出直せばなんとでもなるだろう。
模試は各予備校で受けつけられる。逆算による作戦をたて、相談にくるもこないも自由だが、その日は刻々と近づいている。

09/06/08
見えてきた人間の差
自由さが数学教室の最大の売りであるが、法人の都合で福岡市、久留米市内の教室の運営を変え、一カ月目に入った。
予習、即ち、講義の日と演習のそれを明確に分離し、自分の都合〜他の塾の・予備校の都合、気分次第で出席したり、欠席したりする者には、極めて不都合な状態に見受けた。
今までは生徒が自己都合で休んでいて、突然やってきても、学校の宿題を持ち込んで来ても、ノートや、生徒の口述証言より瞬時に、学校の先生の手口を見抜き、重要な部分をかぎわけ、問題を指定し、巧みに1週間分の予習を施していた。
これは極めて不可能に近い対応らしく、映像系の塾では、指定された問題以外の質問は厳禁、指定された映像より難易度を上げたければ、数万円の追加料金、そして学校の課題は個別 指導部との掛け持ち、いわゆる追加料金を支払い不可能を可能に変えなければならないらしい。
数学教室はそれらすべてを月謝内で瞬時で解決し、さらに高実績まで上げてるわけだ。
しかし、他塾・予備校と掛け持ちすると、すべてがお金なので、極めて柔軟性に富んだ数学教室が最後になってしまう。
が、システムが変わってしまい、調整がつかなくなった。
ここに不都合の原因が生じてしまった。
私は掛け持ちは推奨する。我々は所詮道具である。社会にあるものは有効利用すべきである。しかし、この自由さを満喫し、最大限活用していた数学教室の先輩各位 =勝者達は以前いつ来たかが解らない、人の心が切れるような欠席はしていない。
私は敗者に教える気はない。私はボランティアで数学教室をやっているわけではない。
僕からメールが来て来るような人間は、将来、同じ事を繰り返す。
社会は数学教室と異なり、そのような人種と関わりを拒絶し、自己管理のある者と正規契約し、社会集団を創る。
人生に勝者、敗者はない。価値観の問題だ。しかし、社会集団から拒絶されるもののためにエネルギーは費やしたくない。

09/05/18
より本来のシステムへ
数学教室と平成5年6月に光が丘公民館で始まった教室だ。当時は高校数学を専門に教える教室は首都圏でちらほらと云うという感じで、ましてや、そのほとんどがオリンピック系(どこも難しい事をやる塾が多かった)。学校の先取りから始める教室(公式でない教育機関で)は当時アメリカの一部の州にあるくらいだった。
最初、学年やクラスがあった。
月謝も違った。
しかし、僕の友達(大学時代塾講→上場企業)と参加者のわがままで(教科書も持ってこない。次する場所も解らない。学校の宿題のプリントを持ち込む。自分の気分で=喉が乾いたらやってくる。動物とさして変わらない)、今のシステムができあがってしまった。
個別ばらばらに、1週間分の予習を進める。
開成や麻布の生徒が数百人集まる数学専門塾の講師が「先生は筑紫丘、修猷館、福岡高校以下の学校の予習から見てやらないといけないから本当に大変ですよね。うちはそのような労苦はありません」と労われた。
本当に手がかかる作業だ。
しかし、秘密がある。
それは、入学時が下位の子でも、筑紫丘、附設と同じメニューを課せば収斂する。
所詮高校数学も車の免許と同じである事を自動車学校で発見する。
すると、成績は確実に上がり、筑紫中央、武蔵台の子が進研で7割は越える。
筑紫丘・修猷館の100位以内に入ったのだ。
さて、月日は21世紀。
念願の固定教室を福岡市内に置き格段の自由度が高まった。きっかけは法人の都合であるが、福岡市内の教室の仕組みをより先鋭化する。
講義対演習が1対3。
先生とすべてメールでやる事他事前打ち合わせする。
そしてその最大公約数でネット上の時間割が反映される。
徹底的に無駄を省く。
足を運ぶからには何か手に入れ帰る。いままでのように気分や自己都合では、このシステムでは取り残されるだろう。
より高い自己管理が必要になるだろう。
尚、南の教室は相変わらずである。しかし、チャンスは公平に与えている。飲む飲まないはあなたのやる気次第だ。

09/04/20
GWで賢くなる選択

久しぶり、小論文の題材に使えそうな好材があったので紹介する。
日本経済新聞4月10日の経済教室の小論文で賢そうに見える消費者と真に賢い消費者を表で分類。複眼の視点を提示して、読者=市民に考察させるものである。
表でまづきづいたのは塾選択の話、安全安心の話。内容は宗教団体の話と多岐に及ぶが、最後に福沢諭吉の学問のすゝめで〆るてんこ盛り内容で、世俗的な小文としては大変よくできたものだ。このくらいの文章が書ければどこのAO入試も大丈夫だろう。英文で書ければ申し分ない。一読頂きたい。
さて、時間割だけど5/7〜5/15までが休講となる。
先例に従うと代講か月謝の減額のいずれかであるが、今回は昨年夏の休講に準じ、GW勉強会を代講に充て、休講分を相殺する。よって、会員は連休の勉強会無料、5月分の月謝は定額となる。
勉強会については、入会一年目(中3及び高1)諸君は二次関数の修了、三角比→センター過去問、もしくは場合の数→大学への数学の日々演セレクトまでやる気がある子は進める。既に高1、中3の数名は4/10現在、二次関数が終わりつつある。出来ないことはない(出席がまばらな子は無理だけど・・・)。
二年目諸君は、ベクトル、一次独立、微分入門、積分入門となる。レギュラー授業で既にそこまで達した者であれば大学への数学ステップ1だ。
三年目以降のベテラン、文系、及び数IIIC組。学校が渡した参考書やフォーカスを完読しても、模試の問題とちょっと違うと気づいているはずだ。そのブリッジを行う。
よく勘違いした者が、一から復習と云って、本当に遠回りして、要領が悪い。
改善策として、何をするかを、事前にメールするなど工夫が効率的である。
大数レベルの諸君には学コンを解くための材料を供給する。この域に達するまでが塾本来の仕事である。
先の小論にあるよう、真に賢い消費者は、実績数でなく自分の成績を上げる塾を選ぶと云う。
GWもそのようなひとときにするよう計画を練って欲しい。

09/03/30
カスタマイズ
修猷館他、多くの高校が春休みの宿題を大量に出しているようだ。
学校によっては、プリントをはさみで切り、ノートに張りつけ、その下に問題を解かせ、さらにノートの最初にある問題番号チェック欄に日にちを書き込む手の込み様である。
ノートは一冊になりそうだが、クラスで40冊、まぁ2〜3クラス担当しないと、福利厚生の採算が合わないはずだからざっと百数十冊。このノートを先生がチェックするわけだ。
宿題の内容と云えば、どっかの問題集から持ってきたもので、上級者用の「楽しい数学」シリーズプリントを選択制で課している久留米附設は例外として、個人成績の優劣、弱点を一切無視して全員に課している所を見ると、その学校の中から下の子にターゲットに作成しているように見受けられる。
筑女、西南では、業者と結託し、校納金を使って、その学校専用の宿題冊子が課される。先生は選ぶだけだ。勿論、特クラ、凡クラ区別 なく平等にノルマとして課されているのは変わりない。
そして大半の学校はその課題を中心に春休み明けの試験を実施するといい、子ども達を巧みに管理するのである。この子のためと云う概念はない。できる生徒にはこんなに迷惑な話はない。
数学教室はいかにして1学期分の予習をするかと巧みに考え抜き課題と負荷を与えているので、歩くのが遅く、入会が遅れた生徒は宿題を消化できない事がある。
ある時、最初と最後のページだけ宿題にして、あとは数学教室の演習をつけてノートを提出したら、はんこがついて無事帰ってきた。その子の成績も無事上がった。
先生たちも忙しい、親からのクレームも多いようだ。宿題も好きでだしてはいないだろう。僕は一度宿題を出した先生そのものに宿題を解かしてみたいとつくづく思うくらい、その精神的ストレスに同情してしまう。
相手の気持ちになって、都合よく人生は生きた方がいい。あなたなりに宿題〜人生をカスタマイズしてほしい。

09/03/09
チャンスは公平に与えている、平等ではなく
4月から先、学校では新クラス、部活、学校行事、他方、塾・予備校など、皆独自身勝手に予定を諸君に押しつけてくるだろう。
数学教室のように極めて柔軟に通うシステム等微塵もなく、組織都合に個人を盲従させる。
しかも、諸君はそれに従う以外の選択肢を持つほど強い立場ではない。
よく3年生はもっと早くから勉強すれば良かったとこぼす。無論、その当事者の努力不足の後悔の念ひとしおだが、生徒を縛ったほうが管理しやすく、自分の都合で楽をしたい者(指導力に欠ける者)のわがままも見え隠れする。
組織ゆえに忙しくなる訳だ。
入試は個人の闘いであるが、人間へこむ時もあるので、大いに仲間〜組織が個人の窮地を助けるものである。
その組織が大きければ心強いのは云うまでもないが、その組織に所属しただけで己の力を過信する事もあり、振り舞わされもする。ここはさじ加減の問題であろう。
私は他組織のように人を縛るのは好まない。
それは自分が厭だからでる。
だから柔軟なシステムを公平に提供している。
しかし、数学教室が変更がききやすいから、他を優先して、教室が遠くなる子が出てくる(他方、魅力がないから遠のくとも云え、その点は数学教室の努力不足と自省しなければならない)。
数学教室は上記の時間割のように柔軟に学習機会を提供している。これが人の種類によってはお人好しとなるわけだ。
ただ、前回何をやったか解らないくらい連絡なく欠席することはいましなければならない。本人がいかに正当そうな理由を並べようと、お金を払っているから咎められないだけで、お金を貰う立場(給料を貰う立場)でこんな事でもしたら排除の対象となる。
数学教室は月謝を支払いさえした者に平等にチャンスは注いではいない。組織に振り回されない強い人間になりたい者に公平にチャンスを与えている、ということだ。

09/02/16
移ろいと対峙する

この時間割が最後となる会員がでる季節がやってきた。
センター終了後、二次で数学を必要としない、もしくは、なくなり教室をあとにする者もでるが、大半の3年生はこの季節が最後となる。
この事は数学教室に限らず、学校、予備校、学習塾どこも同じであるが、移ろいのこの時期、地を足につけ、物事に対峙できる人は案外少ない。
皆の多くが、新学年のクラス名簿が気になるように、公立高校では恒例の人事移動に先生の気が行き、課題や補習が散漫、もしくはない事もある。
予備校、いや学習塾はもっと酷い。
何しろ、先生の契約更改時期だから、自分のコマが時間割にあるかが気になり、人心の落ち着きはない。 雇用側も、無料体験を乱発しているものだから、中身よりもそろばんをはじく。難しい授業はクレームの元だからさける。よってレベルは低くならざるを得ず、スタートダッシュ講座と称し、スタートダッシュにならない。
皆はこの時間割中で期末考査が終わり、定期の結果、模試の結果、通知票と多少、刺激と起伏はあっても、自分の思っている姿〜偶像〜への成長=変化を新学期、新学年になればと期待するので、その現実の日が来るまで淡い時間を過ごしがちとなる。

しかしはっきり云おう。何もしない者に変化はおこらない、と。

学校、予備校、学習塾、そして本人、手を抜くのが容易な時節のようだが、数学教室は徹底的にやる事を宣言したい。
春休みに1学期の予習を終わらせ、他はどこも企画しない5月の連休の勉強会までやるだけやる。そうすればあとは流すだけで成績はついてくる。
秋口には咲かない花も花をつけよう。

09/01/26
道具と自分

A4白黒の紙に個人情報を書き込む生徒を見て「何書いてるの?」と覗き込む。
ある中高一貫校のホームルールで渡された某予備校のセンター無料講座の申込書だった。
裏面には個人情報はしっかり頂くよ的な言葉が保険の契約約款のように小さな字で並んでいた。
あっ、それうちの高校でも配られました。
うちの先輩も。
どうも福岡市内にある私立の中高一貫校が組織的にこのイベントに生徒を送り込むような仕組みが出来ているようである。
同業他社がやっている事を妬んでいるのではない。
高額な授業料に加え、さらに予備校の費用を親に支払わせる学校の怠惰と堕落、そして、無責任を責める場でもない。
ただ、この紙片一枚が予備校という高度な受験産業の知的集積地に通いその恩恵に与る者と、そうでない者との差が新高校3年生の人生をどのくらい左右するのかな、と感じた次第である。
先日NHKの再放送で、中国の貧民県にある高校の勉強の様子が放映されていて、まぁ凄い教え方を板書から読み取れたものの、朝の真っ暗なうちから暗記暗記で死ぬ 程勉強しているにも拘わらず大学進学は数名だった。高校も行けない子は家の借金の返済のため出稼ぎに行くストーリーもついていた。
確かに要領が良くないと貧困からは脱しない。
要領が悪いと一緒に仕事をしたくないし、その子のためにただ働きしたり、帰りが遅くなったらたまったもんじゃない。
だから大学は選別をする。
人の手を借りない子を選び、手のかかる子は切る。
その要領を得るためにはお金が必要となる。このたった一枚の紙片はその事を雄弁に語りかけている。
さうなれば競争だ。どっちが上を行くか、先手を取るか、だ。
ただ、断っておきたい事は立派な電子辞書を持っていても、使いこなさなければ、飾りにもならず、無駄 遣いだと云う事だ。

 

2008のメッセージはコチラ